寺子屋運動を語る上で忘れてはいけない歴史
こんばんは。
明日からお仕事が本格的になるので、
その前に、、、
もう少し書いてみようかなって思います!☀️
『カンボジア』って聞くと、、、
皆さんはどんなイメージを抱きますか?
アンコールワットなどの世界遺産が有名ですが、貧困の国や発展途上国というイメージを抱く人も少なくないのではないかと思います。
もちろん私もそのイメージを抱いた1人です。
アンコールワットなどの
高度な文明で栄えたカンボジアは、
何故貧困になったのか?
その要因の1つに今回少しだけ触れることが出来たので、できれば同年代の子たちに伝わったらいいなぁという思いで書きますね。
私たちはこの旅の最終日に
『ワットトメイ寺院』
という場所を訪れました。
↑↑↑ワットトメイ寺院。
この日は乾季には珍しい雨でした。
この場所はポル・ポト政権下に
大量虐殺が行われた場所です。
恥ずかしながら、
世界史を選択していた私ですが、、、
ポル・ポト政権はサラッと学習してしまい、
詳しい内容を理解していませんでした。
帰国後、
両親にポル・ポト政権について聞くと、
知ってるよっとその当時のニュースを話してくれました。
やはり、
当時のニュースをリアルタイムで見ていた人と、
リアルタイムで見ることができなかった私とでは、理解度が違うんですね。
だからこそ。
同年代の子たちに伝わったらいいなって思いで書きますね!
ポル・ポトは、
1975年~1979年にカンボジアの政権を
独裁しました。
その間にポル・ポトは、
とても多くの人を虐殺しました。
彼は知識人たちにコンプレックスがあったのか、、、
国を発展させるために重要な知識人たち(医者や教師など)を中心に次々に虐殺していきました。
カンボジアの平均寿命は60歳前後ですが、
虐殺が行われたこともあり、
40~44歳の人口だけ極端に少なくなっています。
国にとって重要だった知識人たち。
彼らが殺されてしまったことにより、
学校がなくなり、医者がいなくなりました。
教育者が、いないということは、
国を支える人材は育ちません。
カンボジアでは、医者が少ないので
手術を受けたくても
隣国のタイに行かなくては手術は受けられません。
ワットトメイ寺院の写真を載せますね。
少しショッキングな写真も含まれているので、初めに伝えておきます。
↑↑↑ポル・ポト政権下の様子を写真とともに学ぶことができます。
↑↑↑身元不明の遺骨。
↑↑↑寺院の中には絵を通して当時の様子を学ぶことができる建物があります。日本語約もついていました。
数年政権を握ったことにより起きてしまった
悲惨な歴史。
そして、、
この歴史がほんの数年前に起きた出来事で、
カンボジアの現状知り、
寺子屋運動を発展させるためには、
絶対に伝えていかなければいけない歴史なのだと感じました。
私は日本という国で
当たり前のように教育を受けてきたので
教育の重要性を実感することは
少なかったと思います。
今回のモニタリングは、
寺子屋の現状を知るだけでなく、
何故教育が必要なのか?
何故寺子屋が必要なのか?
を考えるモニタリングでした。
少しでもみなさんに寺子屋運動に
ついて伝わっていたらいいなって思います。
そして、眠っているハガキや、金券ありましたらユネスコ協会に提供お願いします✨
さて、
寺子屋運動については書いたつもりなので、、
次回は
他にカンボジアで見てきたことを
書こっかな?💕って思います( ˙ᵕ˙ )